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『鉄の門』のような強烈なサスペンスとは無縁だが、読み終えた後、冒頭に掲げられたハウスマンの詩とともに得体の知れない感情が胸の中に残るという意味で、やはり傑作と呼べる作品だろう。

殺す風
わたしの心に、殺す風が
 遠くの国から吹いてくる。
なんだろう、あの思い出の青い丘は、
 あの塔は、あの農園は?

あれは失われたやすらぎの国、
 それがくっきり光って見える。
幸せな道を歩いていった
 わたしは二度と帰れない。
冒頭に掲げられたハウスマンの詩からタイトルを取った、マーガレット・ミラーの『殺す風』は、まさにこの詩のイメージ通りの終幕を迎える作品である。しかし、そこに到るまでの物語の雰囲気は全く違う。
妻を寝取られたことを知らされた夫が失踪する、という本作は、登場人物たちが繰り出すセリフの面白さと心理描写の辛辣さで魅せる1編で、恐らく舞台劇としてもいけるんじゃないだろうか。だが、そんな軽妙で騒がしい空気感がラストで一変する。

1957年に発表された本作はミラーの中期の傑作として名高いが、1955年に『狙った獣』、1959年に『耳をすます壁』、1960年に『見知らぬ者の墓』、1962年には『まるで天使のような』と、ミラーはこの時期、自身の代表作と言える作品を立て続けに発表している。中でも『耳をすます壁』と『まるで天使のような』は、物語を全てひっくり返す、凄まじい最後の1文で知られるが、本作は最後の2章をかけてジワジワと物語の本体を明らかにするという、ミラーのまた違った意味の嫌らしさ(←褒め言葉!)が現れている。
本作は『鉄の門』のような強烈なサスペンスとは無縁だが、読み終えた後、ハウスマンの詩とともに得体の知れない感情が胸の中に残るという意味で、やはり傑作と呼べる作品だろう。

実は、私が『殺す風』を読むのはこれが初めてではない。過去にハヤカワ・ミステリ文庫版で一度、そして今回と同じ創元推理文庫版でも一度読んでいる。だが、なぜか物語を全く覚えていなかった。なので今回が三度目となるにもかかわらず、全く初読として作品を楽しむことができた。

ミラーの作品には優れた解説が付されているものが多く、本作も例外ではない。解説の中で岡林克也は、ミラーの書く物語には一貫して「満たされない思い」、「満たされない人々」というものに対する“せつなさ”があると述べた上で、こう続ける。
しかしミラーは、夢をつかもうとする賭けに敗れ、壊れてしまって、この世界とは異質の別世界へ去っていかなくてはならない者に対して、厳しい眼を向けようとはしません。温かく見守るというのは言い過ぎにしても、そういう運命に陥ってしまった者を、哀しみを持って見送ろうとしているように見えます。(中略)それは、ミラー(とロス・マクドナルド)自身の私生活が不幸に見舞われ続けだったことから来る、敗者への同志的な共感だったようにも、僕には思えます。

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  • 掲載日:2023/08/31
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