ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』を観た。
異星人とのファーストコンタクト。言語という壁に、目的も意思の疎通もままならぬ。
彼らはなぜ地球上の12カ所に宇宙船を着陸させたのか。友好が目的なら1隻でよいのではないか。少しずつ明らかになる彼らの言語。そこから推定される異なる世界観。地球上では国ぐにの考え方の相違の結果、協力体制は崩れ去り、刻一刻と破滅への判断がなされていく。
異星人の伝えたかったことは。
あえて12カ所に分かれて降りた意味。
人類に訪れる脅威とは。
最新物理学から導き出された「時間」の観念について、先日読んだ『時間は存在しない』も思い起こされたのだが、もうひとつ連想されたのが最近話題の絵本『てぶくろ』。
おじいさんが森の中に落とした片方のてぶくろの中に、ねずみ、かえる、うさぎ、きつね、と次々と動物たちがやってきて「中に入れて」と頼み込む。最初は入れてあげる親切さに同感しながらも、どんどん狭くなるてぶくろに「もう入らないよ」「無理だよ」と声を上げながら見ている子どもたちを想像させる。繰り返しの楽しさ。もう無理だと思って次のページをめくると、すっかり落ち着いて外を眺めているおかしさ。
一緒に読む大人たちはどう声をかけるだろう。
「入れてあげる?どうする?」
「入るかなあ。どう思う?」
「雪が降って寒そうだもんね。入れてあげようか」
「いっしょにいるときっとあったかいよね」
森に落とされたただのてぶくろが、どんな魔法を使ったのかたくさんの動物を飲み込んで、しかも窓や煙突も付けられて、快適な雰囲気に見えてくる。最初に入った者は、次に来た者の要求をどう受ければいいのか。既得権を主張し、拒めばいいのか。それとも受け入れる優しさを持つべきか。受け入れれば権利は狭まり、不快になることも予想される中、見開きごとに求められる判断。この絵本を手に取った子どもたちはどのように決めるのか。
動物たちが着ている服は様々な民族衣装らしい。付け焼刃に過ぎないウクライナの歴史の知識と照らし合わせて考えると、それぞれが我慢をしながらも共存する道こそ理想と思えるのだが。
糸がほつれてはじけそうになりながらも、なんとか7匹の動物をおさめたてぶくろ。そんなつかの間の平和も、落としたことに気づいて拾いに来たおじいさんの連れた犬の吠え声に崩れ去る。単に、お話の魔法が解けて現実に戻るきっかけと考えていたけれど、現状で読み直すとそこに何らかの意味を考えてしまう。
作者の意図はわからない。だけど、読み手はその時々の時代で意味を汲み取ってしまう。
地球というてぶくろの中に、ぎゅうぎゅう詰めで暮らしている人類。その人類を脅かす犬の吠え声はさまざまあるだろうが、てぶくろから逃げ出すわけにいかない我々は、どう判断すべきなのか。そんなことを考えるきっかけになれば、作者の意図と異なっていても怒られはしまい。
異星人が人類にメッセージを伝えに来るまで、存続できるか分からない。
【読了日2022年3月21日】
この書評へのコメント