三太郎さんの
書評を読んで手にした本です。良い本のご紹介ありがとうございました。
カフカの
「断食芸人」という短編の解説である。「断食芸人」は何十日も断食を続けることを芸とする男についての話。彼が人気だった頃は、断食を続ける様子は、昼は多数の観客に囲まれ、夜は監視人がこっそり食べないように見張られている。だがそんな彼の芸も人気がなくなり、彼はサーカスに身を売る。動物小屋の側の檻に入って断食芸を続けるが誰も関心など持たず、現場監督が忘れられた頃にやってきて、断食芸人を見つける。断食芸人は、監督に自分が長期間、断食芸を続けられる理由を明かして死ぬ。断食芸人は埋められ、監督はその檻に豹を入れた。
著者は3回の授業に分けてこの「断食芸人」の分析をしている。1回目が最も長く全部で10節からなるこの「断食芸人」の内容を節ごとに区切って細かく説明する。ここを読んで自分は「断食芸」などカフカの空想の産物だと思っていたら、実際にそういう「芸」があることを知って驚いた。断食の様子など見ても面白くもないと思うのだが著者はマラソンのテレビ中継を2時間も見る現代人のことを持ち出している。ここで得たもうひとつの気づきはこの短編を貫く「齟齬」の存在だ。断食は苦行の筈で、それをショーにして続けるなら、何等かの不正で長く続けようとするものだろう。ところがこの短編の断食芸人にとっては、断食をすることは苦行でも何でもない。苦行でない理由は短編の最後の方で明かされる。断食芸人にとって断食をするのに不正など不要なものなのに、常に不正行為を疑われるという齟齬に苦しむのである。他に断食芸が華やかなりし頃に、断食を終えた場面で檻から出される断食芸人の様子がイエスになぞらえられるなど、面白い指摘があった。
第2回はカフカその人や彼の他の作品との関係の分析である。カフカの多くの作品は小説に書かれたことを字義通りに解釈するのではなく、そこから更に読み取りが必要な寓話的でありながら、文章自体は寓話を拒否する傾向があると言っている。寓話的に読むとしても、その解釈は人によるから読み方に正解はないという。
次に、結局カフカは書くことに喜びを見出し、出版や世に知られることにあまり関心がなかったこと、彼の作品は、彼自身のことを書いているということが論じられている。だとすると「断食芸人」の主人公である断食芸人はカフカのことだし、
「変身」で毒虫に変ってしまった主人公ザムザもカフカのことである。カフカはとにかく自分のことを書くことが好きで、それが彼の文学の世界を狭める結果になっても、別に気にしないという。バルザックと対照的だとあるが、確かにその通りで、カフカの描く世界には多様性はなさそうだ。
第3回は、第2回を受けて日本の「私小説」と自分のことを書いたカフカの小説の違いについて述べている。ここで取り上げるのが葛西善蔵という作家の「贋物」とカフカの「不幸であること」である。私小説は当然著者の体験を書くものだが、カフカが自分のことを小説に書いても、それを日本の私小説のようには受け取れない。その違いを具体的な事例を出して分析しているが、そこまで説明されなくても、カフカの小説を日本の私小説のように読む人はいないのではないかと思った。第2回を踏まえての第3回の授業だとするとちょっと蛇足かなと思う。
第1回の詳細な分析が最も面白かったし勉強になった。第2回も啓発的な内容ではあるが、他作品をしっかり読んでいないと厳しいかなと思う。自分はここで取り上げられた作品のうち殆どの短編と「アメリカ」と「変身」は読了済だが、「審判」と「城」は未読に近い(若い頃に一度読んだ切り)。適宜補足はあるし、有名な作品なので全く知らない訳ではないが、逆にそれほど知られていない「アメリカ」や短編を未読の人にはちょっときついかなと思う。短編や中編を読了した人にお勧めのカフカ論である(主題の「断食芸人」は著者の訳が冒頭に載っております)。
この書評へのコメント